写真説明:個人写真:「撮影者:李鳳仁」

100年前の女子学生との出会い

崔 誠姫

(チェ ソンヒ)

大阪産業大学国際学部准教授

東京女子大学文理学部史学科(2001年3月卒業)

 私は現在、大学教員として朝鮮語・朝鮮近現代史・ジェンダー論などを教えています。最近は1920~30年代の朝鮮における女子中等教育や朝鮮人女子学生について研究しています。ちょうど今から100年前の女子学生が私の研究対象と言えるでしょう。

 私が東京女子大学の学部生だった頃は、ジェンダーやフェミニズムという言葉はまだ一般的ではなく、女性学という用語が主に使われていたように思います。女性学や女性史を教えている先生はなんだか怖い、女子大だからといってそのような学問を学ぶ必要があるのか、と今では信じられないような意識を当時は持っていました。このような意識でしたから卒論も当然女性に関係することではなく、植民地支配下の朝鮮におけるメディアをテーマに書きました。このような私が現在ではジェンダーやフェミニズムの問題に関心を持ち、女子教育・女子学生をテーマに研究を続けているのは女子大で歴史を学んだからこそだと思います。

東京女子大を卒業後、一度就職をしたものの一念奮起して大学院に進学しました。大学院への進学を悩んでいた時、学部時代の指導教員であった栗原純先生に相談に伺いました。栗原先生からは「朝鮮の近代史をやりたいのなら、一橋大学の修士課程に行きなさい」とアドバイスをいただきました。悩んだ結果、栗原先生のアドバイス通り一橋大学の社会学研究科に進学し、朝鮮近代史がご専門の糟谷憲一先生に修士・博士の長期にわたりご指導いただきました。

 一橋大学は共学ですから、当然キャンパスには男子学生がたくさんいました。女子大にとても馴染んでいたためか女子トイレが少ないこと、一橋大学の女子学生は「バシ女」とネガティブなニュアンスで呼ばれることに違和感、憤りを感じました。同じゼミの方たちから女性差別的な発言をされた記憶はありませんが、それでも女子大とは違う「何か」を心のどこかで感じていたように思います。この「何か」は高等教育におけるジェンダーの非対称、男性中心的なアカデミズムの構造の問題などに起因していたのだと思います。

 大学院では1920~30年代朝鮮の中等教育を研究しましたが、とにかく先行研究が少ない領域でしたので男女両方の教育について徹底的に調べ論文にまとめました。ここで当時の朝鮮人女性が教育から疎外されていたこと、教育を受けられたとしてもジェンダーロールから自由ではなかったことに気が付きました。修士・博士での研究の気づきから、この時代の朝鮮人女子教育を研究し続けなければならないという意識を強く持ち始めました。

 朝鮮で女子教育、特に中等教育が本格的に始まったのは1920年代以降です。男子に比べると数十年の時差があります。そして中等教育まで受けられた朝鮮人女性の多くは、卒業後家庭の主婦になりました。しかし、中には高等教育を受けるため日本やアメリカなどで学んだ朝鮮人女性がいました。現在の私の研究テーマは、中等教育後に教員や医師を目指して日本で学んだ朝鮮人女性です。この研究を始めた頃、コロナ禍となり韓国に資料調査に行けなくなりました。そこで、奈良女子高等師範学校(奈良女子大の前身)に留学した朝鮮人学生の資料を調査しました。この研究を始めたタイミングで大阪産業大学に着任することになったので、100年前の朝鮮人女子学生たちが自分たちの歴史を残しなさいと、私を大阪に呼んだのかしら?などと思ったりもしました。

 本当にそうなのかもしれない、ということが2024年に起こりました。NHK連続テレビ小説「虎に翼」に、主人公・猪爪寅子の同級生の一人として朝鮮人女子学生のヒャンちゃんこと崔香淑が登場することになりました。NHKの方から連絡をいただき、主にヒャンちゃんに関連する考証を私が務めることになりました。研究者として論文や本を書き学会発表をすることはもちろんですが、ドラマなどのエンタテインメント作品で自分の専門性を活かせることはとても光栄でした。トラちゃんの時代から100年後に生きる私たちに、様々な問題を問いかける素晴らしいドラマだったと思います。

近著「女性たちの韓国近現代史ー開国から「キム・ジヨン」まで

 このように100年前の女子学生との出会いは、私に様々なものを与えてくれました。「虎に翼」に加え、『女性たちの韓国近現代史』(慶應義塾大学出版会、2024年)の刊行もその一つといえます。この本は聖心女子大学で担当した「朝鮮近現代史」の授業が基になっています。女子大だからこそできる内容を考え、朝鮮半島の女性を中心にした授業にしました。授業の準備中、そして本の執筆中は100年前の朝鮮人女子学生の先輩方が、いつも励ましてくれたように思います。100年前の女子学生から渡されたバトンを、生まれ育った日本とルーツのある朝鮮半島の100年先のために、どう活かしていくか。これが研究者としての私に与えられた使命だと考えています。