写真説明:2022年6月22日、筆者撮影。誤嚥性肺炎を予防する安全な食事介助のインドネシアへの技術移転のための講習会。写真中央部で指導しているのは、EPAで来日し介護職として働いたのち、現在インドネシアの看護学校で学科長をしている看護師。受講者は、インドネシアにおいてインドネシア人高齢者に対してケアを行っているケアワーカーたち。

「国境を越える人々、ケア、人権」

平野 裕子

勤務先:長崎大学医学部保健学科

肩 書:教授

卒 業:東京女子大学文理学部社会学科社会学専攻(1988年3月卒業)

アジアとの出会い

 私とアジアとの出会いは、大学2年の時に初めて出かけたフィリピンで、日本の政府開発援助の現状を知って衝撃を受けたのがきっかけです。私たち日本人の税金によって作られた工業団地が、フィリピンで公害を引き起こし、地域社会を崩壊させている現状を目にしました。東京女子大学では、学内外のアジア好きの仲間と交流し、アジア各国の市場で買ってきた雑貨などをVERA祭で売ったり、宗教センター(当時)でアジアの子どもたちや労働者の現状を紹介する勉強会を開催し、自分たちがアジアで見てきたことを友人たちに伝えました。卒業論文は、フィリピンの戒厳令下でのバターン輸出加工区建設過程における地域住民の強制移住の現状を、一軒一軒訪ね歩いて調べ、図式化しました。今から思えば、科学的な考察も稚拙な論文ではありましたが、現場を歩くことの大切さを実感した経験でした。

労働者へのまなざし

 2年間の会社員生活を経て、東京大学大学院医学系研究科に進学したのは1990年。畑違いの健康科学分野を選んだのは、東京女子大学時代の恩師、宮川實先生の「これから高齢化に向けて看護大学が増えるから、医学部で保健社会学を勉強するのは、将来就職に有利だよ」とのアドバイスに従ったからですが、人口学者でいらした宮川先生の先見の明には本当に驚かされます。

そのころ、興行ビザで入国するアジアの女性たちや、観光ビザで入国し3K労働に従事する非合法の外国人労働者が増えていました。フィリピン人は当時30万人ほどが滞日していました。日本における内なるグローバル化のはしりの時期でした。私は関東地方各地のカトリック教会を訪問し、フィリピン人神父やシスターたちとフィリピン人労働者の抱える精神的健康上の問題点について調べ、それを博士論文「在日フィリピン人出稼ぎ労働者の社会経済的ストレインとその関連要因に関する研究」にまとめました。その結果は、フィリピン人出稼ぎ労働者の精神的健康に最も強く影響していたのは、日本での就労や生活に起因するストレスではなく、母国の家族との葛藤であるという驚くべきものでした。仕事が辛ければ辞めればよいのですが、送金を期待する家族との関係は、出稼ぎをやめない限り根本的な解決は困難で、それが精神的健康を蝕むことを意味していました。

1997年3月に博士号(保健学)を取得した直後、九州大学に一般教育「社会学」の教員として職を得ました。その後、医学部保健学科看護学専攻に組織替えとなり、ケア労働者としての看護師・介護福祉士に着眼する研究を始めます。おりしも、2006年に日本とフィリピンの間で経済連携協定(EPA)が締結され、フィリピン人看護師・介護福祉士が来日することがマスコミをにぎわせていました。私は共同研究者らと、EPAで来日したフィリピン・インドネシア・ベトナム各国の看護師・介護福祉士の比較研究を行い、送出し各国と受入れ国日本との政治的な駆け引きの結果が、外国人看護師・介護福祉士のみならず、受入れ病院・施設の心理的・経済的負担になっていることを明らかにし、その成果を「外国人看護師:EPAに基づく受入れは何をもたらしたのか」(東京大学出版会、2021)にまとめました。

高齢化するアジアと共に生きる

団塊の世代が後期高齢者になる2025年問題を目前に迎え、介護労働者は32万人不足すると予想されています。EPAによる外国人ケア労働者の受入れは、介護領域で就労する技能実習生や特定技能、留学生らの受入れのパイロットケースになりましたが、EPAの制度設計の問題点を研究してきた私には、今日の外国人労働者の受入れが、当面の労働力不足を補完する近視眼的なもので、持続可能性に乏しいと映ります。移民政策を推進し外国人の日本への定着を進めるのも一つの方法でしょう。しかし円安が続けば外国人労働者は来なくなります。従って、介護業務について国籍に関わらず誰もが働き甲斐を感じることができるヒューマンサービスという評価を確立することと両立すべきと思います。

一方、日本の食事介助のきめ細やかさは、来日したアジアの看護師・介護職らにより「要介護者の安全や尊厳に配慮するレベルの高い技術」と認識されており、帰国後に自分の国で広めたいという声が多いことも明らかになってきました。今や日本のみならず、アジアも高齢化の一途をたどっています。日本の介護技術の評価は、優れたアジアの看護師・介護福祉士の帰国によってアジアで確立されるものなのかもしれません。現在私が日本から帰国した看護師・介護職らと取り組んでいるのは、食事介助・口腔嚥下ケアのアジア版プラットフォームの構築です。高齢社会日本が、自分たちの経験をもってアジアの高齢化にどのように貢献できるのかを考えるのが、長期的な意味で日本とアジア諸国の関係を平等なものとし、越境する労働者の人権を守るものと考えます。