「先生、覚えておられますか。わたし、先生と一緒にバングラデシュへ行ったんですよ!」そう問いかけられて、一瞬お返事に詰まってしまった。前任校でのことである。着任されてから何年も経った教授で、お互いをよく知る親しい方だったが、突然持ち出されて何のことかさっぱりわからなかった。記憶の引き出しをいくつも開けて、ようやくそのお名前にたどり着く。えええっ。まさか。あのときの女子学生があなただったのですか、東京女子大学の?
その頃わたしは、年に数回アジアへ出掛けていた。大学の宗務部が主催するワークキャンプやスタディツアーの引率だが、ときにはACEF(アジアキリスト教教育基金)などの外部団体と連携することもあった。たしかあの年は、他大学の学生が一緒に行くことになり、3人が東京女子大学から参加したのだった。そのうちの一人が、何とこの先生だったのである。わたしの中では、昔と今のその二人が同じ人物だったとは、言われるまでまったく結びついていなかった。
わたしの専門分野はアメリカ研究だが、実はアジアとの関わりも深い。その両方を知ることで、自分の視野がいっそう開かれ深められる。人生でも学問でも、そういう体験を何度かしてきた。20年ほど前には『アジア神学講義』(創文社)という著書を出したが、これもアジアとの対話で神学という学問の中核を問い直す作業だった。
きっかけは、大学時代にネパールへワークキャンプに出掛けたことである。今日のような繁栄とはまったく無縁の、大昔のネパールである。バスを降りて3日歩き続けた先にある山の中の寒村で、上水タンクとトイレを整備する作業だった。村の暮らしにゆとりがないので、自分たちの食べる米を背負って入り、40日ほど暮らした。わたしはそこで、自分の小さな頭に貯め込んできた日本の常識がまったく通用しない世界を知る。
思えば、それがわたしの初恋だった。その後は、アジアのどこへ出掛けていっても、あのときのネパールと比較して考えてしまう。おかげで、ネパール語は今でもちょっとだけ喋れる、というのがわたしのひそかな自慢です。みなさんも、最初にアジアのどこへ行くか、よーく気をつけた方がいいですよ。それがあなたのアジアへの初恋になるからです。
ちなみに、冒頭で紹介した先生は、現在アジアやアフリカの教育開発がご専門で、国内だけでなく世界の第一線で活躍しているすばらしい研究者です。東京女子大学の卒業生って、すごい。