「身近な体験からアジアの研究へ」

大橋 義武

東京女子大学現代教養学部 人文学科日本文学専攻専任講師

 皆さんが、生活/人生の中で「アジア」を感じたり意識したりするのは、どんなときでしょう。

 中華料理などのおいしい食べものを食べるとき? K-POPなどの優れたエンターテイメントにふれるとき? それとも……?

 さて私のはじめての「アジア」体験はといいますと、それは『三国志』でした。小学生の頃子ども向けの物語を読んだわけですが、本当に面白かった。昔の中国には、あんないろいろな人物が活躍した時代があったのか! 様々な知恵や武勇、それに運命……描かれた世界に、格別の魅力を感じたものでした。

 そのあと、また少し異なる角度から「アジア」(中国)を意識したのは、中学の国語の授業で魯迅「故郷」を読んだときでした。人が人らしく生きられる世を求めて悩む人物の姿に感銘を受け、「これもアジアの現実だったのか」と気付かされました。

 中国に特に興味を抱いた私は、大学ではアジア科という学科に進みました。そして、卒業論文の準備を進めるうち、“近代中国で『三国志』をきちんと分析・評価した初めの一人が、魯迅だった”ことを知ったのです。別々に触れてきた「中国」――古代の三国志世界と魯迅の生きた近代社会――が一つに結び付いたようで、驚きながらも小さな感動をおぼえたものでした。

 のちに中国へ留学したときには、本場における『三国志』のありかたも知ることができました。文芸作品としての評価は『紅楼夢』などに一歩譲りますが、人々の中に三国志世界は確実に浸透しています。当時制作されたテレビドラマ版『三国志』について、“あれは面白い、これはダメだ”などと学生たちがよく語っていたものです。また、日本でも中華街などに関帝廟がありますが、中国における“関羽への尊崇”のつよさも印象的でした。

 私自身は、魯迅たち近代の知識人が「自国の古典小説とどう向き合ってきたのか」に着目して研究を進めています。様々な中国文学史の中における評価を検討したり、各種国語教科書の作品採用状況を調査したりすることで、古典小説が現代社会に根付く「場」がどう形成されてきたのかを明らかにしたいと考えてきました。『三国志』に関して言えば、研究前に私が想像していたのよりも、その文芸作品としての地位確立には険しい道程があったようだということが見えてきています。

 以上は本・文学に導かれた私自身の例に過ぎませんが、身の回りのものからアジアを「感じる」ことが、やがて「考える」ための出発点になることは大いにあり得ると思います。そして「考える」という実践の中で、アジアで「生きる」ことの意義も見えてくるかも知れません。

 東京女子大学には、アジアに関わる様々な授業やプログラムがあります。皆さんも身近な「アジア」を心に留め、関心が深まったら大学という場で学んでみてはいかがでしょうか。

魯迅公園(上海)にて