「アジアでふれた優しい挨拶 ご飯は食べましたか?」

鵜飼 祐江

勤務先:上海外国語大学日本文化経済学院

肩 書:外教

東京女子大学大学院博士後期課程人間科学研究科人間文化科学専攻(2011年度修了)

 私は現在、中国の上海にある上海外国語大学で働いています。日本語を教えながら、授業やイベントを通じ、日本文化や文学についても紹介しています。

 以前からぼんやりと海外で働いてみたいという希望はありましたが、日本古典文学を専門にして日本の大学で教える機会を得てからは、現実的ではないと諦めていました。しかしここ数年、自分の視野が狭くなったと感じることが多く、1年くらい留学をしたいと考えていたときに、海外の大学での教員募集の話を知りました。最初は中国での仕事だと聞き、これは無理だな、と思いました。中国語はほとんどしゃべれませんし、日本語教師の経験もなく、実のところ、アジア圏には旅行に行ったことすらなかったからです。それでも、ダメでもともとだと応募に踏み切りました。

 上海外大の学生たちは日本語を専攻しているだけあって、日本の文化が好きな学生が多く集まっています。アニメや漫画、ゲームはもちろん、茶道や着物などの伝統文化への関心も高く、何を話しても面白がってくれます。学生たちは、毎日多くの授業をこなし、よく勉強し、サークルや自主活動などの課外活動にも積極的です。日本人と話すだけでも喜んでくれるので、新型コロナウイルスの問題が生じるまでは、学生に誘われて、ご飯を食べに行ったり週末に出かけたりと忙しく過ごしていました。日本に留学に行った中国の学生から、寂しいと連絡があり、中国に来たときホームシックにならなかったかと問われましたが、多くの学生や先生方が親しく接してくれたため、寂しくなる暇などなかったのだと感謝しています(その学生も今では留学先にすっかり馴染んだ様子です)。

 彼らは一様に日本や日本人について、清潔で美味しい物や面白い文化がたくさんある、やさしくて時間に正確で礼儀正しい、と熱っぽく好意的に語ります。その一方で、すぐに謝る態度や女性がお化粧をしないといけないような風潮を不思議に思うとも言われ、当たり前だと思っていたことの価値や違和感に目を向けるきっかけにもなりました。

 行って初めて肌で感じる他国の文化や魅力も多いものです。お昼休みに同僚の先生から「ご飯は食べましたか?(你吃饭了吗?)」と声を掛けられました。「まだ」と言ったら心配をかけるだろうか、もしやお昼に誘われているのだろうかと、唐突な質問の意図がわからず、「一応、軽く食べました……」と曖昧な返事をしたところ、「そうですか~」と返されて拍子抜けしたことがあります。その後、学生からも頻繁に同様の質問をされ、ある時ふと、これは「こんにちは」や「お疲れさま」なのだ、と思い当たりました。中国では「食」を非常に大切にするので、そうした一面が表れているようです。相手がちゃんと食事をとったかを気遣う気持ちが言葉になった、思い遣りに溢れた挨拶だったわけです。

 忙しく過ごす学生たちを見ていると、学生に戻ってがむしゃらに頑張ってみたいものだ、としみじみと感じます。今、日本の大学生や高校生の皆さんも、色々なことに興味を持ち、何かに打ち込んでいると思います。そうした好奇心や一途さを大切にしてください。どのようなことでも良いと思います。また、知識をいっぱい身につけてそれを生かせるようになってください。何でも調べられる時代ですが、身についた知恵や経験は何にも勝る財産です。そして何より、自国の文化や歴史についてもっと関心を持って欲しいと思います。茶道や書道、着付けや俳句、歌舞伎鑑賞など、これまで趣味でやってきたことが今回ずいぶんと役に立ちました。ファッションや料理、ドラマの話題で盛り上がることもよくあります。好きなことや経験してきたことに無駄なことは一つもないと改めて思いました。アニメや漫画について学生たちから教えてもらったときには、日本で見てくればよかったと後悔もしました。自国のことこそ知らないことがあるものですが、知らなければ伝えることはできません。

 日本と中国の時差は僅か一時間。上海なら飛行機の移動時間も3時間とちょっとです。天候も東京とほとんど同じ。言語に不安があっても漢字を使えばだいたいの意味は通じるという利点もあります。旅行や留学、就労などを考えているのなら、ぜひ候補地の一つに加えてみてください。歴史も長く、領土も広大な中国は多様性に満ち、私にとって得難い成長の場となっています。