旅と研究
茂木 敏夫
国際社会学科国際関係専攻(教授)
写真をご覧ください。みなさん、これは何だと思いますか?
大小さまざまですが、いずれも英語でTHE JAPANESE GOVERNMENTとあり、下に小さく「大日本帝國政府」と記されたうえで、小さい方からONE CENT、FIVE CENTS、TEN CENTS、ONE DOLLARと続き、最も大きいのがONE THOUSAND DOLLARSと、どうやら金額が記されているようです。
これは、アジア・太平洋戦争中に、日本が占領下においた英領マラヤで発行したドル建ての軍票で、その1セット(8種)になります。なぜ、中国研究者の私が、それをもっているのか? ここでは、それを入手した経緯を述べることで、アジアをフィールドとする研究者が旅によって、いろんなインスピレーションを得ていることを紹介したいと思います。
今から30年以上前、1989年初、当時留学していた中国の南京大学の旧正月(春節)休暇(大学の前期と後期は旧正月で分けられる)に、中国から東南アジアのタイ、シンガポール、マレーシアを旅することを企てました。19世紀後半から20世紀初、清朝末期の中国の対外認識を研究していた私は、清仏戦争(1884-85)時に東南アジアを旅した鄭観応(1842-1922)の『南游日記』ほか、1870-80年代の中国知識人の東南アジア旅行記録をいくつか携えて、彼らの足跡を追体験しようと思い立ったのです。
南京の東300km余の上海で船に乗り、まず3泊4日かけて香港に行きました。記録によれば、19世紀後半の蒸気船で上海-香港は3泊4日、あるいは2泊3日の場合もありました。1980年代の中国では、船による移動は、その百年前、私の研究する19世紀末と所要時間がほとんど変わらなかったことになります。そのために、当時の時間的・空間的感覚を養うとともに、旅行費用を節約することを考えて、よく船(雑魚寝の2等か3等、あるいは4等)を利用したものでした(学生はカネはないが、ヒマはある!)。また、港町というものは船で出入りしてみると、様子がよくわかるものです。
香港に数日滞在して足跡を追った後、格安チケットを入手して空路バンコクへ、そして数日後、空路シンガポールに入ったのが旧正月の元日でした。シンガポールで華人社会の旧正月の行事を見ながら、足跡をたどった後、バスでマレーシアへ、マラッカとクアラルンプールを探索して、ペナンに向かうため、クアラルンプールで夜行列車に乗り、翌朝、ペナン島対岸のバタワースに到着。当時マレー半島部とペナン島を結ぶ大橋はまだなかったので、フェリーで渡り2泊しました。砲台や教会など、携帯した旅行記録に記された所を歩き回っていたとき、いかにも植民地時代以来の由緒ありそうな、立派な建築に見とれていたところ、そこの門衛さんがこちらに向かって手招きしているのが眼にとまりました。ここペナンでも、旧英領植民地によくあるように、門衛はシーク教徒の大柄な男性でした。
その門衛さんが、手招きに応じて近寄ってきた私に、ポケットから折り畳んだ紙片を取り出して、広げて見せてくれたのが、写真の10ドル軍票だったのです。何だろうと思って、許可を求めて写真を撮りだしたところ、何を思ったのか、その門衛さん、「明日、ウチに遊びに来い!ウチに来れば、それが1セットある!」というではありませんか。
翌日、待ち合わせ場所で落ち合い、自宅を訪問。門衛さん夫妻と息子2人と一緒に甘い甘いミルク・ティーを飲みながら歓談すること半日、写真の軍票1セットもいただきました。話によれば、1940年代末、インドとパキスタンが分離独立する際の社会的混乱をのがれ、植民地時代からペナンに移住していた親戚を頼って来たとのこと、軍票は日本占領下を経験したその親戚から受け取ったとのことでした。長屋づくりの、広いとはいえない自宅(自室)には日本のカワサキ製の750ccバイクが鎮座しており、その場にいなかった、もうひとりの息子が宝物にしているとのこと。日本製といえば、パイオニア製のミニ・コンポもあり、日本国外工場での製造ではなく、日本国内工場での「文字通りmade in Japanだ!」と息子のひとりが誇らしげに云っていたのが印象的でした。また、部屋の壁にはシークの聖地ゴールデン・テンプルの絵が飾られ、「一生に一度そこへ行くのが夢だ」と、門衛のおじさんは語ってくれました。
その夜のマレー鉄道国際列車でバタワースからバンコクに向かったのですが、このペナンでの出会いによって、中国と東南アジア、およびそこを植民地支配していた西欧宗主国との関係をたどる旅が、偶然の出会いから、20世紀の日本との関係まで実感させてくれる旅になったわけです。旅先でのいろいろな出会いによって、新たな発見があり、それが研究の可能性を広げてくれることも少なくありません。3週間余りを要したこの旅では、まだまだいろいろな出会いがありました。もっと詳しく聞きたい方がおりましたら、私の研究室を訪ねて下さい。