フィールドからみる東南アジア―文化人類学的接近法―

小田島理絵        

現代教養学部国際社会学科国際関係専攻

 日本と東南アジアは、様々な分野で結びついている場所であるといって過言ではありません。私にとっての東南アジアは、人生に縁の深い場所でした。そのため、東南アジア研究を志しました。まだまだ続く探究ですが、自己の本分を活かしてくださる経緯に感謝を抱かざるをえません。大学では、大学生の皆さんがご自分の本分を育てていくことができるように努めたいと日々考えています。

 私の東南アジア研究の焦点は、文化です。私は文化人類学者ですが、文化人類学は、総合的な人類学(人間学)の中の一分野です。文化人類学の命題は、地球上の生物の一種である現生のヒト(ホモ・サピエンス・サピエンス)のうみだす文化とはどんなものなのか、です。基本的に文化とは、ヒトの特性、後天的に獲得する能力と考えられています。異なる環境下で生きるヒトの文化は多様です。こうした視座から、ヒト・文化を研究する分野が文化人類学です。

 多文化の東南アジアでは、文化についてつねに考えさせられます。そこで私は自ずと、文化人類学に関心を抱きました。人々との相互行為としてのフィールドワーク(エスノグラフィ)を主な方法論とすることが、この学術の特徴でもあります。研究者になる以前、東南アジア理解の鍵は何気ない毎日にあると漠然と考えていたのですが、そうこうしているうちに、文化人類学にたどり着いた気がします。

 前述の通り、「文化人類学道」とは文化の探究です。一つの作品のようなもの———ある建造物や工芸品、行事や習慣の一つ一つ———を調査対象として取り上げますが、そこに留まらず、ヒトの生きざま、「創りざま」———クリエイティビティはヒトの特性であることを強調したいと思います———、ヒトの編み出す文化の諸相を総合的に考えていきます。諸文化を見通す力、それらを伝える方法を鍛錬します。

首都のタートルアン(大塔)(筆者撮影)
首都のタートルアン(大塔)での祈りを示すお供えもの
(許可のもと筆者撮影) 

 東南アジアに関する私の研究を参考に、文化人類学研究をもう少しご紹介したいと思います。二つの写真は、ラオス人民民主共和国首都ビエンチャンの上座部仏教の大塔(タートルアン)です。皆さんには、どう見えますでしょうか?

 仏舎利が奉納されているといわれるこの大塔は、この町が仏教の教えにより安寧を保ってきたことを意味する象徴です。主要集団のラオ(ラーオ)の人々の歴史と文化の象徴でもあります。大塔には、国内外から大勢の人々が訪問します。外国の訪問者には、ラオス理解の端緒となるに違いありません。他方、国内の人々がこの塔を重要と考え、訪問する理由は、外国の訪問者と同じとは限りません。外国からの短い訪問では、なかなかこの理由を掴めないかもしれません。このようなとき、文化人類学的フィールドワークに意義があるでしょう。

 上座部仏教徒の住民が、寺院や仏塔に一堂に集う機会があります。それがラオス暦の一か月に一度行われる祭礼です。そのうちの一つである写真の大塔の祭礼は、とても重要な祭礼です。より多くの僧侶が参集します。遠方から大勢の人々もやって来ます。訪問者は大塔の祭礼にて、自己が持てるものを喜捨して善行を行い、一同でより大きな功徳を積むことを目指します。

 喜捨された金銭は、修行を重ねる尊い僧侶の袈裟、寺院建築の保全、困窮者の救済行為など、多くの人々の為になることに姿を変えていきます。寺院は維持され、寺院を基点に僧侶は修行し、人々に知恵と教えを諭し、社会と人々の心に安寧をもたらし続けます。こうして個別の善行は、社会を循環していきます。祭礼は、この全体的仕組みの一部です。人々が皆で功徳を積む機会であると同時に、伝統的に多くの民族集団が参加する市もたちますので、経済、文化、情報の相互交換の機会、楽しみの機会でもあります。つまり祭礼は、聖俗両義的な旅です。しかし基本的には、ラオス上座部仏教の修行/巡礼の機会だといえるでしょう。

 私の研究現場を事例に、目の前の文化に多側面から迫っていく文化人類学的視座についてほんの少しお話ししました。このような視座から、多くの文化の仕組みを紐といていきます。文化の違いは、困惑をもたらす可能性もあります。しかし、文化の深い洞察なくしては、より信頼ある国際的な相互関係を結ぶことも難しいのではないかと思います。

 私たちが相互理解の鍵を見出すこと、そしてその鍵を「創り続ける」ためには、知性と感性を磨くことが重要と思います。ヒト・文化という巨視的視座と同時に、顕微鏡をのぞきこむようにそれらを微視的にみつめる、総合的で厚みのある文化接近法の修養は、東南アジア世界の理解を促すことはもちろんのこと、現代世界の基礎教育なのではないかと思います。